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Henry David Thoreau『森の生活 -ウォールデン-』を読んだ

Thoreau - ウォールデン

 最近、アメリカ古典文学の名著であるHenry David Thoreau『森の生活 -ウォールデン-』を読みました。 むずかったです。 素朴に、共感できた箇所を列挙していきたいと思います。 論説文とかではないですから、取り留めのない文章になると思いますが、読んでいただいた方にThoreauの思想とその良さを共有できるよう努めます。

時間の使い方

 まず刺さったのは、「人生を生きる」ことをめぐる一連の主張です。

 人生でないものを生きるというその表現が既に洒落ていて良いですね。 これは彼が慎重に生き、人生の根本的な事実にのみ対面しようとした際の文章です。 人生を生きないとは具体的にどういう状態を指すのでしょうか。 Thoreauの言葉を借りれば、そこには単なる忙しさ以上のもの、すなわち、人生の最もうつくしい果実をもぐ機会を奪うような日常の歪みがある状態のことを言うそうです。

「たいがいの人間は、比較的自由なこの国においてさえ、単なる無知と誤解とからして、人生の人為的な苦労とよけいな原始的な労働とに忙殺されて、その最もうつくしい果実をもぐことができないのである。」

私は「忙殺」という言葉を、機械的に埋められる穴、あるいは他人のねじを巻くことに消費される時間と考えてみたいです。 Thoreauはさらに、われわれが「機械以外の何物かになる時をもたない」と描写しました。 まさに、日々の営為がすべて他人が作った枠組みと期待に沿って消費されるとき、わたしは自分の内側で何かを失っていく感覚を覚えるのでしょう。 Thoreauが怖れているのは、外から見れば「正しく生きている」ように見える人が、内側では自分の手で育てるべきものを育てる時間を奪われていることです。 結果として彼らは「不朽でもなく神のごとくでもなく、自分に対する自分自身の評価、自分自身の行為によって獲られた評判の奴隷」であり、 「常に借金を返す約束をしつつ――明日は返すことを約束しつつ、今日支払不能のまま死んでいく」のだと告げられるのです。

「つまり、この他人の真鍮によって常に生き、死に、葬られるのである。常に借金を返す約束をしつつ――明日は返すことを約束しつつ、今日支払不能のまま死んでいくのである。」

 では、その「果実」を取り戻すためには何ができるのでしょうね。 幸いなことに、Thoreauは単なる否定を説いているわけではありませんでした。 彼は、われわれが自分の仕事の重要性を誇張するように仕向けられていること、そして実際には多くのことがわたしたちによってなされていないことを見抜いているのです。

「われわれはわれわれのしている仕事の重要性を誇張するようにされている。だが、いかに多くのことがわれわれによってなされないでいることか!」

この指摘は実践的ではないでしょうか。 バイトを休んでしまったり、何か小さなミスをしてしまったときにあれほど悩んでいたのは、少し馬鹿らし過ぎましたかね...。 外面的文明のただなかにいても、「原始的な辺疆地的な生活」を小さく取り入れてみるとよいとThoreauは勧めます。 つまり、非効率に見える時間、道具を減らしたり、何もしない時間を意図的に作ることです。 そうした時間が、私たちの「天性のいちばんみごとな果実」を守り育てるのだそうです。

「外面的文明のただなかにおいてでさえ、原始的な辺疆地的な生活をしてみることは多少とも利益のあることである。」

 少しだけ個人的な話をすると、今まさに私が抱えている就活か大学院かという迷いは、まさにThoreauが示した岐路そのものだと思いました。 周囲の大人たちが「学ぶ暇もない」「忙しい」と語るとき、それは単なる仕事量の話であると同時に、何を失うのかについての警告でもあるように思えて仕方がないのです。 忙しさが常態化すると、目の前の仕事が本当に自分のものかどうかを確かめる余地が失われるのだと...。 結局のところ、問いは「どの忙しさが自分のためで、どの忙しさが他人の真鍮のためか」を見分けることであると思います。 彼は評判や約束、社会的規範に無批判に応えることはやがて自分を小さくしてしまうのだと言う一方で、自分の内側の声を守るために時間を多少犠牲にする勇気は人生の果実を成熟させる投資になると言います。 個人的に、これは今まで生きてきた感覚からも納得できます。 どうか、そのような生き方をしたい。

 Thoreauは冷静でありながら詩的です。 私たちが彼の言葉を読むとき、その根底には「慎重に生きること」の勧めがあります。 慎重さとは、すべての忙しさを否定することではなく、何に時間を賭けるのかを自ら選ぶ態度であるのでしょう。

支出を減らす

 話が抽象的すぎたので、 私が感じたより具体的な教訓を綴ってみようと思います。 大きく整理すべきことは二つです。

  • 自由な時間のより具体的な作り方
  • 自由な時間で何をすべきか

 前者については、先ほど「いかに多くのことがわれわれによってなされないでいることか」によって一案が提示されました。 素朴ですが、小さな依頼や慣習的な付き合いを断ることは、この心持の実践かもしれませんね。 断る理由は必ずしも大義である必要はなく、「今はこれに時間を使いたい」と正直に言えるようになるのは大事そうです。 Thoreauの言う「他人の真鍮」に食われないための簡単な盾になってくれそうです。

  このような小さな実践の積み重ねは当然大事ですし、注意深く配慮したいところではありますが、現代社会においては、経済的理由が大きな障壁になりそうです。 ここではそれについて少しだけ考えてみます。

 彼は現代でいうミニマリストであって、何度も支出を減らすことの重要性を述べます。 実際、彼がウォールデン湖で住んだその小さな家は、彼自身が非常に安い価格で建てたものでした。 質素な食事をし、そう多くのものを望まなかった彼は、6週間の労働で1年分の費用が賄えたとさえ主張しました。 これは、まぁ、さすがに時代も違いますし、そのまま受け取ることはできませんが、その生活の様子はなんとなく想像できます。 しかし、彼は単なる極端な節約を奨励していたわけではなく、何が自分にとって価値ある支出かを見定めることが重要だと言っていたことは強調したいと思います。 はぁ、サブスクの整理とか、たぶん、した方がいいですよね...。

「わたしにこういうことをいう人もある、『君はどうして金を溜めないのだね、君は旅行が好きなのだろう? 君は今日にも汽車に乗ってフィッチバーグに行き、あの土地を見物できるのに。』 だが、わたしはもっと利口なのだ。 わたしはいちばん速い旅行者は徒歩で行く人間だということを知っている。 わたしはわたしの友人にいう、『君と僕とどっちが先にそこに往けるか考えてみよう。』」

 上の例からも読み取れるように、単に欲さないというだけが節制ではありません。 彼は自分で家を建て、畑を耕し、日用品を自分で作るといった「手を使うこと」を高く評価します。 これは単に節約のためではなく、行為そのものによって理解と自立が深まるからです。 ものづくりや手仕事は、外部の価値観ではなく、自分の能力と時間に基づいて生きることを教えてくれます。 Thoreau自身が小さな小屋を建て、豆を育てた経験はその実践の表れです。

 自分で何かを作ることの意義については、私も大きく感じています。 「作ったもの」でも紹介している通り、パソコン上で何かが必要になったら、大抵自作することによって賄っています。 自分で作ると、Thoreauが述べた利点があるだけでなく、他の人が作ったものについても感じられることが多くなります。 そこに込められた技術や知恵が見えるようになるのは豊かだと思います。

読書について

 自由な時間で何をすべきかについて考えてみます。 ひとつには、上で述べたように制作や創作に費やすことでしょう。

 人生の冒険とは何でしょうか。 ここでThoreauが言う「冒険」は、余分なものをそぎ落としたうえで、自分の時間と注意を賭ける価値のある問いや仕事へと身を投じること、 すなわち「内面の未知へ踏み込むこと」を意味しているように思われます。 読書は、その冒険への最良の入り口の一つです。 書物は他者の経験と考察を圧縮して理解できる地図であり、同時にとても複雑な地図であって理解が難しいです。 良い読書は地図をなぞるだけで終わらず、むしろ地図に書かれていない道を自ら探し出すための触媒になります。 だからこそ、Thoreau的な読書は受動的ではなく、探検的であるべきです。

 では、具体的にどのように読めば「冒険」になるのでしょうか。 私自身も本の読み方に日々悩んでいましたから、勉強になりました。 まず第一に、問いを携えて読むことです。 読み終えたときに新しく自分の中で変わった概念、考え方、見方などが得られれば読書が単なる消費にならず、探究へと変わるのではないでしょうか。。 第二に、読書中に抵抗を記録する習慣を持つことです。 違和感や納得できない箇所からこそ、自らの始点や考えが育つのだと。 量を追う読み方は現代の忙殺的習慣に似ています。 Thoreauならば深さを選ぶと思います。 ゆっくり読んだり、ノートをとったり、要約したりなどです。 実際、私もdiscordなどにメモしながら本を読むようにしています。 重要な文を何度も読み返し、自分の言葉で言い直すことで、自分の中に入ってくる感覚があります。

 読書が冒険になるとき、必ず何かが生まれます。 それは短い感想文かもしれないし、小さな実験的な行動かもしれないけども。 読んだことを基に一文を書く、日曜の午後に小さな工作をする、あるいは読書ノートをウェブに公開して他者と議論を始める、こうした行為は、読書を受動から能動へ移す転換点です。 Thoreauの「人生に対して冒険する」という言葉は、読書後のこうした実践をこそ念頭に置いている気がしました。

参考文献

  1. Henry David Thoreau 森の生活 ― ウォールデン ―. 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001209/files/54189_68486.html (参照日:2025年11月28日)。